もったいないのココロ  石田豊 著 WAVE出版


 ぼくは政治家でも行政マンでも教育者でも市民運動家でも環境グツズ販売業者でもないから、
「限りある資源を大切に」とか「地球に優しい暮らし」なんて言われても、いまいちピンと来ない。
別段、子孫のために美しい環境を残そうなんて思ってもいないし、ましてや環境を汚すと地球が悲
しむなんてオバカなことは考えてもいない。もしぼくが地球だったら、そんなこと知ったことでは
ないだろう。にもかかわらず、ぼくは節電節水を心がけたり、なるべくごみが少なくなるよう努力
したりしている。なぜなんだろうと長い間ずっと不思議だったんだけど、ようやくわかった。「も
つたいない」と思っているのだ。
 「もったいない」を辞書で引くと「@〔有用な人間や物事が)粗末に扱われて惜しい。有効に生か
されず残念だ。A(神聖なものが)おかされて恐れ多い。忌むべきだ。」などと書いてある。うん。
どちらもわかるな。その通り。惜しいし恐れ多いんだ。二酸化炭素やごみを増やすことが嫌なんじ
やなくつて、その原因である石油を惜しげもなく燃してしまうことや、紙やビニルをどんどん使っ
ちゃうことが、惜しいし、恐れ多いのだ。「勿体ない」。じやあ語幹の「勿体」って何だ。「〔本来は
「物体」で、物の形の意〕@態度などが重々しいこと。威厳があること。A態度や品格。風采。」
なんだそうだ。ぼくたちのご先祖の感覚では、物にはもともと威厳と品格があるつてことなんだろ
ぅね。それはうすうすぼくにもわかる。寒い時に火を焚くのはいい。しかし暖かくなつてもまだ焚
いていると、それはもつたいない。燃料を粗末に扱っているからでもあり、自分の必要が満たされ
たのに火を消さないことが恐れ多いからでもある。
そうだ。もったいないとは主体的な感覚だつたのだ。自分と自分の必要をちゃんと考え、それを
超えるものを粗末に扱うことをたしなめるコトバなのだ。もったいないなあという感想を持つ時は、
言い換えれば「ちゃんと考えてないなあ」ということでもある。
ずいぶん「もったいない」時代が長く続いてきた。その中で喪失してしまったのが、自分で考え
るということだつたんだ。自分で自分の暮らしを考えるということだつたんだ。
そんなことに気がついてきた。それが政治家でも行政マンでも教育者でも市民運動家でも環境グ
ッズ販売業者でもない表市民が環境のことを気にするようになつたきっかけではないだろうか。
 少なくとも、ぼくはそうだな。
環境をめぐる議論も、もういちど「もったいない」を軸に考え直してみると、いろんなことが見
えてくるんじゃないだろうか。


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