「科学という考え方」 田中 三彦 著  晶文社 より


 道具と素材が同じでも、画家によって描く絵はさまざまだ。しかし「道具と素材が同じなら描かれる絵はまったく同じでなければならない」と、強く信じられている学問分野がある。いうまでもなく、科学である。
しかし現実の科学の世界は、必ずしもそううまくはいっていない。
 科学者たちは同じ道具(数学的思考)と同じ素材(データ)を使いながら、しはしば、まるで正反対の絵を描く。実際、はじめに記した地球温暖化のストーリーも、今日すべての気象学者が想い描いている「唯一の地球未来絵図」というわけではない。
 議論の出発点がちがっているからではない。つまり、今日ほとんどすべての専門科学者が認めている基本的な事実がいくつかある。
 まず「産業革命以降大気中の二酸化炭素の濃度は約二五パーセント増えた」ということ。つまりいまから二百数十年前の大気中の二酸化炭素の濃度は270PPMだったのが、いまでは約350PPMに上昇しているという″事実″だ(PPMとは、Parts Per Million、つまり「百万分のいくつ」かをあらわす単位で、1PPMを百分率で表わせば「0.0001パーセント」)。
 多くの科学者が認めているもう一つの″事実″は「この100年のあいだに、地球全体の平均温度は0.5度C高くなった」ということ。 そして、もう一つ。それはソ連の南極基地から引き抜かれた長さ二キロメートルの氷の柱に関するものだ。氷の柱には、無数の気泡が閉じこめられている。柱の下のほうにある気泡ほど古い時代の気泡で、最上部の
それは現在のものだ。この柱には一六万年間分の気泡がつまっており、フランス国立科学研究セソターのクラウデ・ロリユーらはそれらの気泡を注意深く分析して、つぎのような結論を出した。
「過去一六万年間の気温の変化と二酸化炭素の濃度の変化は、たがいに密接に対応しながら変化している」 この結論もまた、専門の科学者のあいだでほば認められていることである。
 地球温暖化に関連することで、今日気象学者全員が 認め合っている基本的な事実は以上の三つだろう。こ れらの事実を彼らはたがいに共有している。ところが そこから生まれる結論は、場合によっては、ポジフィルムとネガフィルムほどの差がある。
  1990年の12月4日から5日問、サンフランシ スコで、全米から4500人の科学者を集めて「アメリカ地球物理学連合秋期会議」が開かれた.その会議の内容は日本のマスコミではなぜか報じられなかったが、会議場では来世紀前半の気象をめぐって、激しい議論が闘わされた。
  NASAゴダード宇宙研究所のジェームズ・ハソセ ン。かつてアメリカ議会の公聴会で、二酸化炭素によ る地球温暖化という悲劇的な地球の未来絵図を説いて世界の注目を集めた科学者である.彼はこの会議でも、「私はかなりの確信をもってい る。温室効果は実際に地球温暖化に寄与し、またすで球に気象変化を引きおこしている」ことをあらためて強 が、これに対して、マサチューセッツ工科大学(MIT)の気象学者、ディック・リンツェソは、「自動車や工場排煙などが地球の温度を高めているかどうかわからない。だから、デトロイトに大型自動車をつくるなともいえないし、エクソン社に原油の生産をストップしろともいえない。(温室効果ガスが少々増加しても)何もおこらないというシナリオを書くのは、地球は温暖化するというシナリオを書くのと同じくらい簡単なことだ」と反論した。 そしてそのリンツェソは、「もしハソセソらがいうように将来地球が温暖化すれば、それによって海面からこれまで以上に水蒸気がたちのぼり、その結果、たくさんの積雲が上空を覆う。そしてそのぷん太陽からの光は遮られ、温室効果は帳消しになる」といった。
要するに、二酸化炭素の濃度が増加していることは事実であるにしても、それはすぐに大気温度の上昇を意味しないというわけだ。 実際、最近の人工衛星による観測結果は、「雲は地地調した冷却効果をもっている」というリンツエソらの考え方を支持している。しかし、現在の地球温暖化の理論には、その「フィードバック効果」をじゅうぷん計算に生かしていないという問題があるのだ。リンツェソは、そこのところをついたのだった。
 アメリカ国立大洋気象局データ・セソターの著名な気象学者トーマス・カールも、反論ののろしをあげた。先に述べたように、地表面の平均温度はこの100年間で0.5度C上昇している。そしてじつはこのトーマス・カールこそ、過去100年の世界中の大気温
度測定の記録を注意深く調べて「0.5度C上昇」という結論を出した張本人だったのだ。
 彼はつぎのようにいった − 「1881年以後の温暖化の状況をよく分析すると、0.5度Cの上昇のうちの大部分は1919年以前のこと。つまり、急速な化石燃料の使用によって大気中の二酸化炭素の量が急激に上昇する以前のことだった」。
 このカールの発言は、0.5度Cの大気温度の上昇を二酸化炭素の濃度の上昇と結びつけようとしていたハソセソら、地球温暖派科学者にとっては大きなショックであったにちがいない。
 そして最後に、アメリカ国立大洋気象局の局長、ジョン・クナウスはこう述べた − 「地球温暖化の懸念が広まっているが、地球温暖化を決定づけるいくつかの重要な要素に関して、いまだに専門家のあいだにかなりの疑問がある」。 地球温暖化の理論を椰捻するつもりはない。私が興味をもっているのほ、同じ道具と同じ素材をもつ専門の科学者たちが、180度方向のちがう結論を引き出しているという現実、しかし、それにもかかわらず、そのうちの地球温暖化という悲劇的な地球の未来絵図を描く理論だけがとくに強調され、もう一方はほとんど注目を浴びないという現実、だ。いったい、一方の理論だけを際立たせているものは何なのだろうか。1950年代から80年代はじめころまでの地球の平均気温は、少しずつ下がる傾向にあった。だから、いまからほんの数年前、気象の専門家たちが注目した問題は地球の温暖化というストーリーではなく「寒冷化」だった。「氷河時代」に突入すると考える科学者もいた.惑星直列という自然現象とひっかけて「異常に寒い地球」を説く占星術師もいた。とにかく数年前、だれもが地球は寒くなると信じていた。が、突然、専門家の目が温暖化に移った。その最大の理由はいったい何であったのだろうか。
 たいてい、人はつぎのようにいう。「たとえ温暖化理論がまちがっていても、それで人間が二酸化炭素の放出を控えるようになり、また何よりもわれわれ一人ひとりが地球という大きな生命に目を向けるようになるなら、いいことじゃないか」と。 後半の部分はまことにそうにちがいない。しかしそんなことなら、すでに何十年も前から同じことをいってきた詩人や芸術家がたくさんいたことを忘れてはならない。
 科学はいま科学としてではなく神話として機能しはじめているのかもしれない。


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